音楽ユニット『YOASOBI』のコンポーザー(作曲)Ayaseさん。
ヒット曲を次々生み出すAyaseさんの出身にも注目が集まります。
そこで『YOASOBI』Ayaseさんの出身中学・高校や大学について調査してみました。
また音楽に携わるまでの経歴もまとめてみたのでぜひ最後までご覧ください。
Contents(目次)
YOASOBI/Ayaseとは?
まずは音楽ユニット『YOASOBI』と、Ayaseさんについて軽くご紹介していきます。

(左)ボーカルのikuraさん/(右)Ayaseさん/出典:YOASOBIオフィシャルサイト
- 【ボーカル】ikura/【コンポーザー】Ayaseの2人からなる音楽ユニット。
- 2019年に結成され、同年発表のデビュー曲『夜に駆ける』が再生1億回を超える大ヒットに。
- 疾走感のある楽曲と切なさのあるメロディ、ikuraさんの伸びやかなハイトーンボイスが若い世代を中心に受け、現在までアニメの主題歌やCMソングなど、出す曲全てヒットを飛ばしている。


出典:@Ayase_0404
- 『YOASOBI』の作詞作曲・編曲を担当。
- 1994年4月4日生まれの28歳。
YOASOBI/Ayaseの本名は「綾瀬啓一郎」?
Ayaseさんの本名はもしかすると「綾瀬啓一郎」の可能性があります。
『YOASOBI』自体結成されて日が浅く、Ayaseさんに関しても非公表な部分が多いため、まだ謎に包まれたミステリアスな存在。
しかし実はAyaseさん、以前は『Davinci』というバンドで活動をしており、そこから推測できそうです!
Ayaseさんはボーカルを務めていました。

ステージで熱唱するバンド時代のAyaseさん(左)/出典:@MURASAKI_0404
現在とは違い曲調もロックで、かなりスタイルが違っています。
口のピアスはこの頃からしていたようですね。

出典:@MURASAKI_0404
当時は「啓一郎」という名前で活動していました。

出典:@MURASAKI_0404
当時のアカウントがまだ残っており、Twitterの「場所」欄に「YAMAGUCHI→TOKYO」と書かれています。
ご本人も2020年7月14日の朝日新聞デジタル『&Education』で「16歳でバンド活動を始めた」と明言されているので間違いないようです。
そして肝心の本名についてですが…。
現在のAyaseさんのTwitterIDは「@Ayase_0404」、啓一郎として活動していた当時のIDは「@MURASAKI_0404」と、末尾の数字が同じですね。
これは恐らく「誕生日が4月4日だから」で、アカウントを変えた際にも付けているという事は、Ayaseさんは自分に関係のある事柄・言葉を大切にする傾向があるように思えます。
そう考えると「Ayase」や「啓一郎」も自分に縁のない名前は付けないんじゃないでしょうか。
つまり、
- Ayase⇒あやせ→苗字を芸名にした
- 啓一郎⇒本名の下の名前を使った
と考えられ、本名は「綾瀬啓一郎」または「絢瀬啓一郎」のどちらかと推測できます。
ネット上では「綾瀬」の苗字ではと書かれているのを多く見かけますが、定かではありません。
本名は非公表なのであくまで推測ですが、もし「綾瀬啓一郎」だったとしたら本名もカッコイイですね!
YOASOBI/Ayaseの出身中学高校大学は?経歴をご紹介!
では『YOASOBI』Ayaseさんの出身中学・高校・大学はどこなのか、また現在の”Ayase”になるまでの経歴をご紹介していきます。
YOASOBI/Ayaseの出身校① 小学校
Ayaseさんの出身小学校は非公表なため不明ですが、宇部市内の小学校に通っていたようでクラスも判明しました。
宇部市長がAyaseさんを「ふるさと大使」に任命している事から、Ayaseさんは山口県宇部市生まれである事がわかります。

出典:@ubecity_mayor
山口県宇部市の人口は約17万人、山口では下関・山口に次いで3番目と、比較的大きな市。
そのため市内の小学校は24校と多くありますが、この内のどれかである事は間違いありません。
クラスは6年2組だったというのが、ご本人のTwitterから判明。

出典:@Ayase_0404
当時から有名になってテレビに出る事を夢見ていたんですね。
Ayaseさんは小学校高学年で初めて曲を作ったとの事。
小学校高学年のとき、親がクリスマスプレゼントにアコースティックギターを買ってくれて、そのギターで椎名林檎さんの曲を練習しました。そして、その曲のコード進行に合うメロディーを自分でつけてみたのが一番最初につくった曲です。
(引用:朝日新聞デジタル『& EDUCATION』2020年7月14日)
小学生の頃からとても才能があるお子さんだったんですね!
YOASOBI/Ayaseの出身校② 中学校
Ayaseさんの出身中学校についても非公表で不明ですが、引っ越しした等の情報もないためやはり宇部市内の中学校で間違いなさそうです。
宇部市内には14の中学校があり、そのどこかに通っていたのではないでしょうか。
どこかとまで特定に至る情報はありませんが、中学時代の同級生との仲の良さそうなエピソードがAyaseさんのTwitterに投稿されていました。

出典:@Ayase_0404
AyaseさんとグループLINEで繋がっているとは、同級生の皆さんも自慢でしょうね!
中学生のころまでピアノを習っていたというAyaseさんは、2年生の頃に「歌手になりたい」と思ったんだとか。
中学2年生くらいのときです。EXILEさんやaikoさんなど、J-POPの最前線を走る人たちの音楽を聴いて、歌がすごく好きだと気づき、歌手になりたい、音楽でご飯を食べていきたいと思うようになりました。
(引用:朝日新聞デジタル『& EDUCATION』2020年7月14日)
14歳の頃にご両親に「歌手になりたい」と伝えたものの、”わかりやすくグレていた”というAyaseさんは学校に行って勉強するよう言われたそうです。
しかし学校に行きたくないという気持ちと本気で音楽をやりたいという想いが重なって”音楽をやるから勉強は必要ない”という結論に至ったAyaseさん。
多感な時期、そして他と違う事が気になるお年頃でもある中学生時代にこうした決心が出来るのは、なかなかできる事ではないですよね。
音楽家としての「Ayase」は、既にこの頃には出来上がっていたようです。
YOASOBI/Ayaseの出身校③ 高校・大学
Ayaseさんの高校・大学について調べてみると、以下の事がわかりました。
- Ayaseの出身高校―非公表
- Ayaseの出身大学―高校中退の為、行っていない
学校にあまり行きたがらなかった中学時代を考えると、高校に関してはわざわざ遠くの学校は選ばず近場に決めた…と仮定して考えてみました。
山口県宇部市に限ってみてみると、公立・私立・国立・中高一貫を含めて宇部市内には9つ高校があります。
Ayaseさんはこのどれかに通っていた可能性が高いのではないでしょうか。
しかし16歳でバンドを始めたAyaseさんはバンド活動にのめり込み、忙しく学校へ行く暇も必要もない、と高校1年の時に退学してしまったそうです。
バンド活動をするから学校に行く暇がない、行く必要もないと言って、高校1年生のときに学校をやめました。実際は、学校に通いながらもバンド活動できるのに。だから、両親も僕が本気で音楽の道に進もうと思っているのかを疑っていたと思います。
(引用:朝日新聞デジタル『& EDUCATION』2020年7月14日)
歌手という夢に対して懐疑的だったご両親も、ボーカルとして真剣に月3~4本ライブをこなすAyaseさんを見て次第に応援するように。
高校中退後は真摯に音楽に向き合っていたので、それこそ”大学を受験する暇も、行く必要もない”状態だったようです。
「音楽で食べていく」というのは一見華やかに見える様で、相当な努力も必要な上、その努力すら実る保証もない狭き門。
当時のAyaseさんの決断は、なかなか勇気のいるものだったと思います。
YOASOBI/Ayaseの経歴① バンドマン
Ayaseさんの経歴の1つ目はバンドマンであった事です。
そのバンドというのが記事前半でご紹介した『Davinci』。
Ayaseさんはボーカル兼バンドリーダーとして曲を作っていました。
当初は山口県周南市で主に活動、その後は福岡、更に東京へと進出したようです。

出典:@Davinci_of
精力的に活躍の場を広げていくAyaseさんの音楽活動は9年続き、当時順調に見えました。
しかし2018年の10月、Ayaseさんは重度の出血性胃潰瘍と診断され入院措置に。

出典:@Davinci_of
- 胃潰瘍はストレスが原因で起こることが多い現代社会の代表的な病気。
- 出血性胃潰瘍は、潰瘍のできた場所の血管が破れるのが原因です。
(引用:『安藤クリニック』HP)
折しも『Davinci』のシングルリリース当日、そしてツアー直前の時期でした。
”重度”という事は、Ayaseさんは当時かなりのストレスに晒されていたのかもしれません。
12月には退院をするものの、「活動は体調回復を待って再開」とTwitterでアナウンスが。
その後2年間、事実上活動休止状態のまま2020年7月16日をもって『Davinci』は解散となります。
YOASOBI/Ayaseの経歴② ボカロP
Ayaseさんの経歴2つ目としては、やはりボカロpとしての活動が挙げられるでしょう。
「ボーカロイドプロデューサー」の略で、合成音声ソフトVOCALOIDを使って作曲・発表する人の事を指す。
『Davinci』として活動していた2018年に、出血性胃潰瘍で入院してしまったAyaseさん。
当時Ayaseさんは1人で制作できる音楽を探してVOCALOIDに行きついたようです。
退院したと発表された2018年12月にはAyase名義で初のボカロ曲「先天性アサルトガール」を発表。

出典:Ayase/YOASOBI YouTubeチャンネル
5作目の「ラストリゾート」では10万回再生を獲得し初の殿堂入りとなるも、この頃はバイトで生活せざるを得ない状況だったとか。
当時は「ボカロPとしては収益もゼロに近い状態でしたし、本当にバイトがないとやっていけない状態でした」と言い、「当時はお金がなさ過ぎて家もなくて。妹二人が東京に出てきていたので、その家に住まわせてもらって。2DKのDK部分に住んでいました(笑)。キッチンを見ながら寝ていましたね」と、下積み当時の生活ぶりをテレビ初告白した。
(引用:『ザテレビジョン』2021年3月7日)
その後も有名Vtuberへの楽曲提供などを経て、「小説を曲にする」プロジェクトに参加したAyaseさんがSNSを通じてボーカルのikuraさんと出会い、YOASOBIを結成。
そのAyaseがまず「monotagary.com」の小説を楽曲化するプロジェクトにコンポーザー(作曲家)として参加。「いい歌を歌っている人がどこかにいないかなって」と探していた当時、路上ライブ映像をSNSに投稿していたシンガーソングライター・幾田りらを見つけたのが、誕生のきっかけだった。
(引用:『ザテレビジョン』2021年3月7日)
そして1stシングル「夜に駆ける」が大ヒット。
現在のAyaseさんに至ります。
入院というマイナスな出来事をきっかけに、ボカロpとして誕生したAyaseさん。
残念ながら『Davinci』は惜しまれつつ解散となってしまいましたが、その過去も全て含めて今のAyaseさんを形成しているのでしょうね。
Ayaseさんはこれからも『YOASOBI』メンバーとして、ヒット曲を数々生み出してくれるはずです。
まとめ
『YOASOBI』のAyaseさんの出身や経歴についてまとめてみました。
情報が少なく謎に包まれた部分は多いものの、出身や生い立ち・経歴などから音楽一本で頑張ってきたAyaseさんの姿が浮かんできて、本当に頭の下がる思いです。
そしてベールに包まれているからこそ、曲の雰囲気も相まって神秘的で魅力を感じる部分もあるでしょう。
Ayaseさんご自身が出身地・山口県宇部市に関してツイートするなどもしていますので、今後SNS等で新しい情報を発信してくれるのを心待ちにしています!