日本史上初の女性総理大臣誕生か?と世間から最も注目を浴びている高市早苗氏。
育ちも良く、学歴も高い有名大学卒業のエリートなのでは?と思われますが以外や以外、やんちゃな時期もあったようです。
今回は総裁選真っ只中で奮闘中の高市早苗氏をピックアップ!学歴・経歴そして人柄についても調査してみました。
Contents(目次)
高市早苗プロフィール

本名:高市 早苗(たかいち さなえ)
生年月日:1961年3月7日(61歳)
出身地:奈良県
血液型:A型
出身校:神戸大学 経営学部経営学科
所属政党:自由民主党
高市早苗氏は、32歳の若さで衆議院議員として初当選されました。
同期の野田聖子氏や田中真紀子氏のように親や祖父が政治家ではなく、父はサラリーマン、母は警察官という一般家庭育ちの政治家です。
加えて、高市早苗さんが社会進出をされる1984年当時はまだ「男女雇用機会均等法」が執行されていない時代です。
バックボーンもなく、男尊女卑がまかり通る時代の延長に俗でいう「叩き上げ」の環境下で政治家としての研鑽を積まれた高市早苗氏。
現在のポストまでに至った高市早苗氏は、努力家で忍耐強く、聡明な女性といえるでしょう。
『総理の椅子に一番近い女性議員』として最も期待されている政治家です。
高市早苗の学歴は高い?
では、次期総理との呼び声が高い高市早苗氏の学歴は高いのでしょうか?ここからは高市早苗氏の学歴を当時のエピソードに触れながら探っていきましょう。
高校:奈良県立畝傍高等学校(偏差値・69)

高市早苗氏の出身高校は奈良県立畝傍高等学校です。
地元では有名な進学校で、高市早苗氏は一般受験で合格されています。
難関校である進学校に入学された高市早苗氏は、さぞかし優秀で真面目な模範生――と思われますが、実は少しやんちゃな一面もありました。
高校1年時に大学生の彼氏が出来、学業はそっちのけ。あげく職員室で先生にビンタされたというエピソードもあります。
いつも彼と二人きりでいたくて、授業をさぼり、宿題を怠けて、成績はガタ落ち。職員室で先生に「勉強しろ」と顔をビンタされた
2021/8/21 exciteニュースより
ビンタとは!
しかし初めて恋人ができれば、学業そっちのけで長く同じ時間を過ごしていたくもなりますよね。
親近感を感じてしまいますね。
やんちゃなエピソードはこれだけではありません。校則を破っていたことも。
昼前ごろ、もそもそ起き出して学校へ行った。私の大切なバイクに乗って。 実は、バイク通学禁止。校舎の裏の秘密の場所に止めて、外壁の金網をよじのぼって入った
2021/8/21 exciteニュースより
まるで漫画のような世界。バイクは16歳の時から乗り回していたそうです。

『バイクの魅力は、とくに夏に風とアスファルトの熱を感じながら走る心地よさ』と語る高市早苗氏。
同じバイカーとして高市早苗氏のこの感情に筆者も共感せざるを得ないところです。
これだけ高校時代にアクティブに活動していた高市早苗氏。
学力低下の末、不良の道にまっしぐら?と思われますが、しっかりと第一志望の大学に入学を果たしています。
遊ぶ時は遊ぶ!勉強する時は勉強する!と高市早苗氏はしっかりとした、メリハリのある人物のようです。
大学:神戸大学・経営学部経営学科(偏差値・63)

高校卒業後、高市早苗氏は第一志望である神戸大学へ進学されました。
神戸大学では経営学部にて経営学を学ばれていた才女のようです。
しかし高市早苗氏はただの才女ではありませんでした。大学へ入学された後も持ち前のバイタリティは忘れていません。
入学されると、今度は軽音部へ入部され、ヘビメタルバンドを組むとドラムを担当されています。

また当時からかなりパワーのある方のようで、ライブでは毎回ドラムのスティックを3本は折っていたという武勇伝があるほど。
現在でも議員宿舎で電子ドラムを叩いているようで、その選曲もDeepPurple やJudasPriest 、BlackSabbath というメタルバンドばかり。
議員になられた後、某テレビ番組では大好きなX JAPANの曲を熱唱。思わぬプレゼントに感激される姿も。


難関校に入学した聡明な才女でありながら、いくつになっても年頃の女性のような可愛らしさを見せる高市早苗氏。
このようなところも、多くの支持者が惹かれる理由なのかも知れませんね。
そして、バンド以外にも大学時代にはホステスのバイトもされていたという高市早苗氏は、政治家としては珍しい経歴の持ち主といえるでしょう。
高市早苗の経歴は?TVでメインキャスターも?
バイタリティ溢れる高市早苗氏ですが、大学卒業後はどのような道をたどり政治家へとなられたのでしょうか?
次は高市早苗氏の経歴について調べてみましょう。
松下政経塾入塾(1984年)
高市早苗氏は大学卒業後、公益財団法人 松下政経塾へと入塾されています。
松下政経塾とは
パナソニックの創業者である松下幸之助が、1979年(昭和54年)に設立した政治塾。国会議員・地方首長・地方議員などの政治家を中心に、経営者・大学教員・マスコミ関係者など、各界に人材が輩出している。
高市早苗氏と松下政経塾との出会いは大学4年の夏でした。
松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒され、すでに内定していた就職も蹴って松下政経塾に入塾されたそうです。
また政治家を志すきっかけとして、高市早苗氏はインタビューで次のように語っています。
24歳の時、いろいろな話を聞いて政治家になろうと思った。それまでは政治家ではなく、経営の勉強をして、国際金融とか貿易とかの仕事をしたいと思っていた。仕組みづくりに関わらなきゃと思ったきっかけでした
2021/9/16 日刊スポーツより
入塾され、ご自身の将来の道を変えることを選択された高市早苗氏。
松下政経塾ではご自身の意識が変わるくらいの様々な価値観と出会ったのかも知れませんね。
渡米(1987年~1989年)
入塾中だった高市早苗氏は、1987年にアメリカに渡り米民主党下院議員・パトリシア・シュローダー氏の個人事務所でCongressional Fellowとして勤務されています。
Congressional Fellow(コングレッショナル フェロー)とは
・アメリカ議会が40年にわたって行なわれているプログラム。
・政治学者だけでなく、ジャーナリスト・行政府官僚・国外から選ばれたフェローが1年間、議員や委員会のオフィスに配属され、実際に立法過程を経験することで、アメリカの政治制度の理解をより深めるというもの。(参照:News from Washingtonより)
・一定の団体の資金提供により、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度。(参照:高市早苗国会事務所ホームページより)
高市早苗氏はこの制度の下、入塾された松下政経塾より月2000ドルの研究費を得、努めていたそうです。

高市早苗氏のCongressional Fellowについてはその和訳「立法調査官」という言葉に対して異議を唱えられたこともありました。
しかし高市早苗氏は、証拠を集めはっきりとその疑惑を払拭。異議を唱えた相手とも円満に解決されています。
疑惑には真っ向から対峙され、たとえそれが相手の間違えであっても決して貶めず真摯に対応される姿は上に立つ者として相応しいのではないでしょうか。
Congressional Fellowとして米国で議員立法やスピーチのための調査を行なっていた高市早苗氏。
高い英語スキルをも持っている高市早苗氏は、日本の総裁として世界と対話する能力を充分に備えている存在ともいえるでしょう。
帰国(1989年)
約2年間のアメリカでの勤務を終えた1989年。高市早苗氏は帰国され、松下政経塾を卒塾されます。
その後は日本経済短期大学(のち亜細亜大学短期大学部)に助手として就任されていましたが、1990年、フジテレビ系列の朝の情報番組「朝だ!どうなる?」のMCとして抜擢されました。

また知名度が上がった高市早苗氏は、日本テレビのバラエティ番組「巨泉のこんなものいらない!?」にも起用されています。

東京都知事の小池百合子氏や、参議院議員の丸川珠代氏・蓮舫氏なども元キャスター。
メディアをとおして市井への認知度もあがり、聡明な印象を与えるキャスターは、やはり女性政治家のステータスシンボルになっているのかも知れませんね。

政界進出(1993年)
キャスターとして活躍された3年後の1993年。高市早苗氏は、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬されました。
しかし立候補前は周りから「当選は難しいのでは」との声が聞かれていたようです。
そのような中、不安な気持ちに後押しをしてくれたのは父親でした。
当時の心境を高市早苗氏は話しています。
1993年の衆議院選挙への出馬です。当時は中選挙区制度でしたが、奈良県選挙区では、有力な現職5名と保守系新人に加え、大ブームだった日本新党の新人候補も出馬を予定しておられ、私のような無所属新人が当選できる可能性は皆無と言われていました。知人や友人が出馬に猛反対する中で父が背中を押してくれ、思い切って立候補しました。
参照:覚悟の瞬間
結果は見事初当選。得票数も選挙区内トップでした。

翌1994年には、海部俊樹氏(第76・77第内閣総理大臣)を代表とした自由改革連合に参加。また同年には新進党に合流されます。
そして1996年、第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、奈良1区から新進党公認で出馬し再当選されています。
その後も様々な政党で高市早苗氏は政治家としての研鑽を重ね現在までに至っています。
高市早苗氏の所属政党の遍歴(政界進出~総裁選出馬まで)
①無所属
②自民党・自由改革連合
③新進党
④無所属
⑤自由民主党
⑥無派閥
2006年には第1次安倍内閣で初入閣。内閣府特命担当大臣として抜擢されています。
内閣府特命担当大臣とは
・内閣府において特定の政策に関する事業推進を担当するよう任命された国務大臣の職位。2001年1月に内閣府設置法の施行によって法制化された。
・内閣府特命担当大臣は、複数の官庁にまたがっており、緊急に検討・対策を行う必要のある政策などについて担当するよう任命される。
・別名として特別担当大臣・特命担当相と呼称される。
参照:Weblioより
2006年に入閣された後、高市早苗氏は様々な分野での役職を務められてきました。
高市早苗氏の内閣役職歴
●通商産業政務次官
●経済産業副大臣(3回任命)
●内閣府特命担当大臣(3回任命)
●総務大臣(5回任命)
2014年の9月3日に発足された第2次安倍改造内閣では、初の女性総務大臣に任命。
総務大臣にいたっては、5回もの任命を受けて史上最長在職期間を記録されています。

総務大臣としての在任期間は1066日と長期に及び歴代1位となっています。
まとめ
今回は初の女性総裁誕生と目されている高市早苗氏の、学歴・経歴、そして数々のエピソードをとおして高市早苗氏の人柄についても迫ってみました。
多くの記者を前に2時間にも及ぶ出馬への記者会見も記憶に新しい高市早苗氏。
中身の濃い内容でありながら、微笑みを交え高い熱量で答え、また質問される記者に対しても敬意を持って接する姿に多くの有権者からの好感度も高まったのではないでしょうか。
1つ1つの政策に対して、具体的にご説明される幅広い知識量に圧巻されてしまうほどでした。
そして時折みせる微笑みと、関西出身者であることの独特な言葉使いに高市早苗氏がとても身近な存在として写った方もいらっしゃると思います。
「アベノミクス」を引き継ぎ「サナエノミクス」として日本を再起動させる意欲を見せる高市早苗氏。
初の女性総裁誕生の暁には、3本のドラムスティックを3本の矢に持ち替え、どんなことでも折れない強靱な日本を作り上げていって欲しいですね。