あどけない可憐さとミステリアスなカッコよさをまとった雰囲気で多くの人を魅了し続けた、1980年代を代表するトップアイドルの一人、中森明菜さん。
2022年現在はテレビ番組などの表舞台で見かけることはほとんどなくなってしまいましたが、実際のところどんな風に過ごされているのでしょうか?
そこで今回は中森明菜さんの2022年現在の姿と表舞台に姿を現してくれる日が来るのか、そしてデビューから現在までの軌跡を紹介していきます。
Contents(目次)
- 【画像】中森明菜2022年現在の姿!50代でも変わらない美貌!
- 中森明菜のデビューから2022年現在の姿までを時系列で紹介
- 1981年:「スター誕生!」に合格
- 1982年:アイドルとしてデビュー
- 1984年:名曲「飾りじゃないのよ涙は」リリース
- 1985年:映画初主演で女優デビュー
- 1986年:日本レコード大賞を2年連続受賞
- 1987~1988年:人気曲を次々にリリース
- 1990年:金屛風事件と活動休止
- 1991年:活動再開
- 1992年:月9ドラマ「素顔のままで」にW主演
- 2001年:デビュー20周年
- 2006年:ドラマ「プリマダム」に出演
- 2010年:パチンコ機種のプレス発表会に登場
- 2014年:3年の活動休止を終えて紅白出場
- 2016~2017年:ディナーショーを開催
- 2018~2021年:会員に向けて直筆メッセージを公開
- 2022年:年末にディナーショーを開催するという噂も…
- まとめ
【画像】中森明菜2022年現在の姿!50代でも変わらない美貌!
中森明菜さんが最後に表舞台に姿を見せたのは2017年のディナーショーで52歳の時。


少しスレンダーになった印象はありますが、50代とは思えないくらい肌も髪も綺麗ですよね!
実際にディナーショーに行ったファンは、中森さんの変わらぬ歌声と美しいパフォーマンスに魅了されて「とても幸せな時間だった」「あの曲を歌ってくれて嬉しかった」と大満足だった様子です。
2017中森明菜ディナーショーでの昔の曲メドレーの1/2の神話の半分だけよが本当に感動した事を久しぶりに思い出した。
— まっちゃん (@masaki1015x) February 19, 2021
しかし、2017年以降はディナーショーも行わず、表舞台から姿を消しています。
実際のところ2022年現在はどんな風に過ごされているのでしょうか?
デビュー40周年の節目に手紙を公開
ずっと沈黙を貫いてきた中森明菜さんですが、2022年8月に個人のTwitterアカウントを作ってファンのみなさんに向けたお手紙を公開しています。
いつも応援してくださるファンのみなさまへ。
ご無沙汰しております。中森明菜です。
今の自分の言葉でお手紙を書きました。
読んでいただけたら嬉しいです。 pic.twitter.com/n9F2MtdU2T— 中森明菜 (@akinan_official) August 30, 2022
実は2022年は、中森明菜さんがデビューしてちょうど40年にあたる年でもあります。中森さんは5年前の2017年に35周年記念として新作アルバムとカバー曲のアルバムを出しているため、「40周年には何かしらのアルバムを出してくれるのでは…?」と期待が高まっていたのです。
中森さんはお手紙の中で「デビュー40周年として、何らかの活動をと日々体調と向き合ってきておりましたが、まだ万全な状態とは言えません」と明かしています。
つまり、2017年のディナーショー以降ずっと何かしらの病気と闘っていたんですね…。
しかし、中森さんは「ゆっくりになってしまう思いますが、歩き出していきたいと思いますので」と明かしており、新たな活動に向けて少しずつ準備を始める段階に入っていることを明かしています。
これはファンとして期待せずにはいられないですよね!
体調第一に無理せず、中森さんらしく歩んで行ってほしいなと思います!
病気と闘いながら音楽活動は続けている
2022年現在まで、中森さんを苦しめていた病気は帯状疱疹だったそうです。
「明菜さんは今なお、帯状疱疹と戦っているといいます。思うように体調は回復せず、その闘病生活は12年。また病気のため精神的な不調にも見舞われ、人前で歌うどころか会うのさえ限られた人のみ。自宅からほとんど出ない生活が続いているといいます」(音楽関係者)
引用:女性自身 2022年8月31日
帯状疱疹は、人によって強い痛みを伴ったり、頭痛や39℃以上の発熱などの症状が現れることもあります。また頭部に症状が出て悪化すると、失明や顔面麻痺、難聴などに繋がる可能性もあり、音楽活動をする中森さんにとっては恐ろしい病気です。
しかし中森さんは病気と闘いながらも、音楽活動を諦めることは一切無く、活動を再開したときのために歌詞を書き溜めたり、ペンネームを変えて活動していたりしていたそうです。
「明菜さんは“いつか自分が歌うために……”と歌詞をノートに書きためているんです。これまでも明菜さんが作詞した楽曲はいくつもあり、20代のころには作詞家の先生のもとで本格的に学んだこともありました。’00年以降は『Miran:Miran』というペンネームで作詞をしています。今年は40周年とあって、明菜さんのレコード会社には音楽番組から出演オファーがいくつも届いていました。そんななかでの復活宣言。明菜さんサイドと繋がりが強いNHKは『紅白』に出演してもらえないかと狙っているそうです」
引用:女性自身 2022年8月31日
また、音楽番組からの出演オファーや紅白歌合戦への出演依頼も届いているようで、中森さんのTwitter開設とお手紙によって大きく何かが動き出している兆しが出てきましたね!
これからも中森さんの活動について続報をチェックしていきたいと思います。
中森明菜のデビューから2022年現在の姿までを時系列で紹介
「花の82年組」の一人として一世を風靡し、トップアイドルとして活動し続けた中森明菜さん。
ここからはそんな中森さんのデビューから2022年現在の姿を時系列で振り返っていきたいと思います。
1981年:「スター誕生!」に合格
1981年、中森明菜さんは大人気オーデイション番組『スター誕生!』に登場。
392点という番組史上最高得点で合格し、芸能界への切符を手にしました。

オーディションに挑戦した当時はまだ15歳の高校1年生でしたが、歌唱力は当時から光るものがありました。
披露した曲目は山口百恵さんの「夢先案内人」で、オーディションを受けて中森さんのスカウトに踏み切ったレコード会社や芸能事務所はなんと11社。
中森さんはスカウトに来ていた芸能事務所「研音」とレコード会社「ワーナーパイオニア」と契約を決めました。
1982年:アイドルとしてデビュー
1982年5月1日、ボイストレーニング期間を終えて中森さんはいよいよアイドルとしてデビューします。デビュー曲は「スローモーション」。

16歳のあどけない可愛らしさが溢れる中森さんにピッタリの曲で、多くの人が中森さんの歌声と可愛らしさに魅了されました。
続いて1982年11月にリリースしたシングル「セカンド・ラブ」を披露した時の中森さん。

可愛すぎますよね…!!
個人的に中森さんは「カッコイイ」「ミステリアス」というイメージが強かったのですが、王道清純派な中森さんもとても素敵です。
1984年:名曲「飾りじゃないのよ涙は」リリース
1984年に中森さんは井上陽水さんから提供された楽曲「飾りじゃないのよ涙は」をリリースします。

世代的に昭和のアイドルにあまり馴染みが無い人でも「飾りじゃないのよ涙は」は聞いたことある方が多いのではないでしょうか?
中森さんは「飾りじゃないのよ涙は」で1984年11月の週間オリコンチャートで見事1位を獲得。そして1985年の年間チャートでも6位入り、いよいよアイドルから本格的な歌手へと歩みを進めます。
この頃から中森さんのプロデュース戦略も大きく変わり、「清純派美少女」から「ちょっと危険な香りがする女の子」に変化していきました。

おそらく「カッコイイ女性」「ミステリアス」なイメージが生まれ始めたのも、この頃ではないでしょうか?
1985年:映画初主演で女優デビュー
そして1985年に中森さんは女優としても新たな一歩を踏み出します。映画「愛・旅立ち」で中森さんは初主演を飾り、女優デビューをすることになるのです。
共演した近藤真彦さんとは、「愛・旅立ち」での共演をきっかけに交際をスタートしています。
そして1985年に中森さんはもう一つ大きな功績を残しており、12月に「ミ・アモーレ」で日本レコード大賞を受賞します。

授賞式では、歌っている途中でお母さんの中森智恵子さんが花束を持って現れ、中森明菜さんが涙をこらえらえなくなるシーンがありましたね。
明菜さんが「アイドルになりたい」と思ったきっかけも、最初はお母さんだったそうです。トップアイドルとして人気になってからも、お母さんに褒められたいという思いから、音楽活動の様々なことをお母さんに報告していたそうです。
きっと初めてレコード大賞をとれた瞬間は明菜さんとお母さんにしかわからない大きな幸せがあったんでしょうね…。
1986年:日本レコード大賞を2年連続受賞
1986年には大ヒットシングル「DESIRE -情熱-」をリリースし、中森さんは「DESIRE -情熱-」で再び日本レコード大賞を受賞します。
この黒髪ボブと和服をアレンジしたような衣装で思いつく方も多いのではないでしょうか?

1986年当時、中森さんは歌や容姿だけでなくファッションリーダーとしても注目されるような存在になっていました。
もともとアイドルにそこまで興味が無く、洋楽やバンドなど別ジャンルの音楽を好む人たちですら、「明菜ちゃんは歌も容姿もセンスも全てが良い」と絶賛するほど、もはや当時の音楽業界には欠かせない存在となっていました。
平成生まれの筆者から見ても、この頃の中森さんはオシャレでかっこよくて、いつ見ても新鮮で色あせない魅力を放っていると感じます!
1987~1988年:人気曲を次々にリリース
1987~1988年、レコード大賞を2年連続で受賞した中森さんの勢いは止まることなく、その後も次々に人気曲をリリースし続けます。
1987年9月30日に加藤登紀子さんの原曲をカバーしてリリースした中森さんの「難破船」はとくに大ヒットを記録しました。

ステージ上で涙を流しながら歌う中森さんの姿は胸を打つものがありましたね…。
その他にも、1988年には大胆な衣装と激しい曲調が印象的な「TATOO」をリリース。


「難破船」と「TATOO」は曲調も雰囲気も全く違う曲なのに、完全に自分のものとして世界観を作り上げている中森さんって本当にすごいですよね…!
衣装も大胆なデザインが多いですが、いつ見ても古い感じがせず、見ていて飽きない存在であり続けた所以がよくわかりますね。
1990年:金屛風事件と活動休止
そんな順風満帆だった中森さんに転機が訪れたのが、1990年の金屛風事件です。

「愛・旅立ち」の共演時からずっと交際を続けてきた近藤真彦さんが、松田聖子さんと密会しているところを週刊誌に撮られてしまい、中森さんは深く傷つきます。
さらに近藤さんは中森さんに「将来2人で住む家の購入費用」と称して、中森さんから7600万円ものお金を受け取っていましたが、実際住宅などは購入されていませんでした。
最終的には近藤さんのマネージャーが中森さんのお金を持ち逃げしたという噂にまで発展していますが、マネージャー側は否定。限界を迎えた中森さんは失意のあまり、自殺未遂を起こしてしまいます。
平成元年の7月11日、中森明菜(当時23歳)が近藤真彦(当時24歳)の自宅で衝撃の自殺未遂を起こしたことだった。
引用:Yahoo!ニュース 2020年11月11日
中森さんの回復後、事情説明としてジャニーズ事務所が用意した会見の会場が金屛風だったことでマスコミは「結婚会見なのではないか」と騒ぎ立てました。
しかし、実際のところ近藤さんは最後まで中森さんのことを「仲の良い友人」と釈明し、中森さんが涙をこらえながら質問に答えるという、何とも不可解な会見でした。
中森さんはその後、体調を崩して活動休止をすることになってしまいます。
1991年:活動再開
1年の活動休止を終え、中森さんは1991年に活動を再開します。
デビュー10周年として行った「~夢~ ’91 Akina Nakamori Special Live」では、元気な姿を見せてくれて安堵したファンも多いはずです。


歌唱力も1年のブランクを一切感じさせないほど、素晴らしいものでしたね!
1992年:月9ドラマ「素顔のままで」にW主演
1992年には安田成美さんとW主演で月9ドラマ「素顔のままで」に出演します。

「素顔のままで」は性格も育ちも全く正反対の優美子とカンナが、ひょんなことから同居生活を始めて、互いに刺激を受け合いながら自分と向き合い、人生を歩んでいくというストーリー。
中森さんが演じたカンナは、ミュージカル女優を目指す女性で、複雑な生い立ち故に悲しいバックグラウンドを持ちつつも、心優しく一本筋が通った女性でした。
中森さんが今までの芸能活動で経験してきた「夢を追う気持ち」や「自分を貫く信念」がよく現れた素敵なドラマだったと思います。
2001年:デビュー20周年
デビュー20周年目を迎える2001~2002年には、「20th Anniversary Live ~It’s brand new day~」を成功させます。


また2001年頃から中森さんはテレビ番組の出演からディナーショーに芸能活動をシフトしていき、30代以降の音楽活動の土台を作ります。
ファンとしては生の歌声を聞ける機会を作ってくれることは本当にありがたいですし、「ファンへの感謝」を大切にする中森さんの活動の軸がよく見えていますね。
2006年:ドラマ「プリマダム」に出演
2006年に中森さんは連続テレビドラマ「プリマダム」に出演します。

中森さんが演じた倉橋嵐子はバレエ団の理事長を務める元世界的プリマ。最愛の息子との付き合い方や秘書との関係に悩みつつ、自分の生きがいを見出していく女性でした。
中森さんはミュージカル女優やバレリーナなど、一つのことに打ち込んできた女性の役が非常によく合いますね!
とても美しく、最後までカッコイイ女性でした。
2010年:パチンコ機種のプレス発表会に登場
2010年代にはテレビ番組での活動はほとんど無くなり、ディナーショーで音楽活動を行うことがメインになっていた中森さん。
そんな中で2010年7月にパチンコ台とコラボレーションし、「CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~」のプレス発表会に登場します。

プレス発表会では記者からの質問に笑顔で応じ、終始楽しそうな雰囲気で終わったのですが、実際のところ中森さんが帯状疱疹に悩まされていたのはこの頃からだったそうです。
2010年10月には体調不良が原因で2度目の活動休止となってしまいます。
2014年:3年の活動休止を終えて紅白出場
3年の活動休止期間を終えて、2014年に中森さんは紅白歌合戦に出場します。

公の場に登場したのは4年5カ月ぶりで、アメリカのレコーディングスタジオから中継で登場するという形でしたが、変わらぬ歌唱力と音楽活動を続けていてくれたことに感動しましたね…!
ドキュメンタリー映像でもカメラマンさんに配慮する姿や、遠い日本で見守るファンに顔が見えるようにギリギリまでマイクの位置を調整するなど、中森さんの人柄の良さが見えていました。
2016~2017年:ディナーショーを開催
2016~2017年、中森さんは精力的にディナーショーを開催します。
ディナーショーのチケットは1人3万6000円~5万円とかなり高価でしたが、中森さんの歌とパフォーマンスを見るために多くの人がチケットを求めて殺到しました。
チケットは即日完売。オークションサイトでは10万円を超える金額で取引されたこともあるようです。

ディナーショーではMCも中森明菜さんが行い、ファンと楽しくお話ししながら名曲を披露。中森明菜さんが歌う姿を見てディナーショーに行ったファンの方々は、「10代20代の明菜ちゃんと何も変わっていない」と話していたそうです。
2017年にはデビュー35周年記念として、ニューアルバム『明菜』とカバーアルバム『Cage』の2作を同時発売するなど、精力的に活動されていました。

しかし、2017年11月・12月のディナーショーを最後に表舞台での姿は見られていません。
というのも、中森さんが行ったディナーショーというのが1か月で14都市を周るかなり過酷なスケジュールだったようで、「完璧なステージを…」と全力を出し切った中森さんは体調を崩してしまったそうです。
そしてその後のファンクラブ会報にて
年末までのディナーショーの…つかれが…出てしまったのか…ひっくりかえっていましたああー!!!!
と明かし、体調を回復するために活動を控えているようになりました。
帯状疱疹の闘病期間のことを考えると、おそらくディナーショーの疲れもあって再発してしまった可能性も考えられますね…心配です…。
2018~2021年:会員に向けて直筆メッセージを公開
2018年~2021年、中森さんはほとんど表舞台に出ることはなくなりました。しかし、ファンへの感謝と愛情は決して忘れておらず、中森さんは肉声メッセージを送っているんです。
中森明菜さまのファンクラブ会報が届いてた!!📫
今回は会報誌だけでないサプライズが……!!
これはかなり嬉しいです😭
大切にします!ありがとうございます!!✨#中森明菜#ファイスウェイ pic.twitter.com/KxcIFMn81L— SOMARI【YouTube『ソマリ・チャンネル』】 (@smr_an_fami) November 9, 2021
こうしてメッセージをくれるだけで、とても嬉しいですよね!
中森さんのファンクラブ会報の中には
さみしい、かなしい どうガンバッテもなるようにしかならない? ほんのわずかな喜びさへあれば緩和できるのでしょうが、そうもいかず! まずはっ心の元気! 心の元気が体も元気にしてくれますぅ!きっとォ!
引用:日刊ゲンダイ(2021/11/18)
弱っていながらも少しずつ前を向こうと頑張っている様子が見られます。
今は中森さんがただただ元気になることを祈るばかりですね…。
焦らず、決して無理せず、中森さんが自分らしく歌を歌える日が来るまで待つことにしましょう。
2022年:年末にディナーショーを開催するという噂も…
そして2022年、Twitterアカウントの解説と手紙の公開により、中森さんが活動を再開するのではないかというニュースが報じられます。
個人事務所の設立、病気から少し復活の兆しがみられたことで、年末にディナーショーを再開するのではないか?という噂もでています。

NHKでは2022年7月15日に中森さんの過去のライブ映像などをまとめた特番も放送。
さらに紅白歌合戦に向けた準備も進んでいるようで
「すでに、明菜が出演する前提で『紅白』の演出プランが検討されていて、“アイドル歌合戦”という具体案も出ているといいます。明菜のほかにも、やはりデビュー40周年ということで今年NHKで特番が放送された小泉今日子や、『紅白』常連の松田聖子、さらには松本伊代など往年のアイドルを揃えるというプラン。昨年デビュー40周年だった聖子は娘の急逝により前回の『紅白』は急きょ辞退となりましたし、娘の死を乗り越えた聖子、復活の明菜が出場となれば話題沸騰となることは間違いないでしょう」
引用:日刊サイゾー(2022年09月02日)
昭和のトップアイドル大集合が見られる可能性もあるそうです。
しかし、ファンとしては中森さんの歌う姿は見たいものの、何よりもまずは元気になってほしいという思いがありますよね…。
決して無理せず、じっくり復活に向けた準備をしてほしいと思います。
まとめ
今回は中森明菜さんの2022年現在の姿や、デビュー当時からの変化を時系列でまとめてご紹介しました。
熱愛騒動や体調不良など、幾度となく困難に見舞われてきた中森さん。
しかし、どんなに辛い状況でも音楽と向き合うことを諦めず、ファンを大切にする姿勢はアーティストとしても一人の女性としてもとても素晴らしいと思いますし、それこそが中森さんが愛され続ける所以なんだろうと筆者は感じました。
中森さんが2022年内に本当に復活するのか、どんな姿を見せてくれるのか、など未だ謎は多くありますが、まずは無理せず、元気な姿を見せてくれることを祈ります!