日本人初の快挙!マスターズ制覇の松山英樹プロはどんなところで生まれ、どんな学生時代を過ごしたのでしょうか。
今回はマスターズを制した松山英樹プロの出身地や出身校を小学校から大学まで、学生時代のゴルフ成績も合わせてリサーチします。
▼松山英樹選手の凄すぎる年収はこちらでまとめています。

Contents(目次)
松山英樹のプロフィール
ではまずは松山英樹プロのプロフィールです。

名前:松山 英樹(マツヤマ ヒデキ)
生年月日:1992年2月25日(30歳)
身長/体重:181㎝/90㎏
出身地:愛媛県松山市
メジャー選手権最高成績:マスターズ・優勝(2021年)/全米オープン2位タイ(2017年)/全米オープン6位タイ(2013年)/PGA選手権4位タイ(2016年)
松山英樹プロは若干4歳でゴルフを始めました。打ちっ放しで父親が打つ姿を見て『打ってみたい』と言ったそうです。
当時のご自身について松山英樹プロは語っています。
記憶は曖昧なんですけど、ゴルフを始めたばかりで1日に1300球を打ったみたいです…。何が楽しかったかは分からない。でも、分からないから今もやっているんじゃないですかね
2015/12/28『GDOインタビュー』より
ゴルフを始めたばかりで1,300球!その集中力に脱帽ですね!
父親の愛情深いバックアップ、そして本人の努力とゴルフに対するひたむきさが、未だかつて誰もなしえなかった、マスターズ優勝を勝ち取った理由かもしれません。
松山英樹の出身地は?
では松山英樹プロの出身地はどこなのでしょうか?
松山英樹プロの出身地は愛媛県松山市です。
『いで湯と文学のまち』といわれ、夏目漱石の文学小説『ぼっちゃん』で有名な日本最古の温泉・道後温泉や、城郭がそろった日本三大平山城である松山城など歴史的にも貴重なスポットが現在する町です。
また松山市は、瀬戸内海に面した風光明媚な土地でもあります。

松山英樹プロは、この美しい瀬戸内海の大海原を眺めながら『世界と勝負したい!』との野望を心に秘めたのかも知れませんね!
ではここからは日本の誉れへと成長した松山英樹プロの経歴を、小学校から大学までの学歴とゴルフにまつわるエピソードも合わせてご紹介します。
松山英樹の出身小学校は松山市立雄郡小学校
松山英樹プロの出身小学校は松山市立雄郡小学校です。

松山市立雄郡小学校とは?
松山市立雄郡小学校は、松山市中心部にある小学校で歴史の古い学校です。
地域との連絡も良く、子供ものびのびと育つと保護者には評判のようです。
また偏差値も51.5と愛媛県の他の小学校の偏差値の平均よりも少し高く(思い出のコミニュティサイトより)優秀な小学校です。
小学校時代のゴルフエピソード
松山英樹プロは、小学校1年生の時に初めてゴルフのフルセットを手にします。それは父親の手作りのものでした。
当時はジュニア向けのものはなかなか手に入らなかったため、父親が松山英樹プロの為にオリジナルのゴルフセットを作ってくれたのです。
父親の松山英樹プロへ対する愛情が感じられるエピソードですね!
そして小学2年生では既にスコア100を切っていたといいます。
小学校時代の貴重な写真が残っています。
四国のライバルがとてつもない事やらかしました!!
大学2年までは同じだたのに
息子のゴルフ日記から#golf897 #松山英樹 #マスターズゴルフ pic.twitter.com/pP1KRK95qh— エムズリぺア (@usgtf83) April 16, 2021
左側の画像が小学生の頃の松山英樹プロです。幼い姿が可愛らしいですね!
松山英樹の出身中学校は松山市立雄新中学校→明徳義塾中学校
小学校を卒業した松山英樹プロは、同じ松山市にある松山市立雄新中学校へ入学します。

しかし、中学校1年生の時に初めて石川遼プロと一緒にラウンドを回り衝撃を受けます。
当時のことを振り返り、松山英樹プロはインタビューで話しています。
遼とは中学1年の時に試合で初めて一緒に回ったんです。ビックリしました。ドライバーショットで40~50ydくらい置いていかれました。身長は、僕は160cmないくらい、遼は163cmはあったんじゃないかな…。それにしてもスイングがキレイで『スゲエ。こんな奴がいるのかよ…』って。
2015/12/28『GDOインタビュー』より
同世代の石川遼プロの活躍、また父親が明徳の高橋章夫監督に勧められたこともあり、中学2年生の時により高い練習環境をもとめ、スポーツ名門校・明徳義塾中学校へ転入します。
明徳義塾中学校とは?
明徳義塾中学校は、高知県にある中高一貫教育を実施している私立中学校です。

偏差値は51で高知県の私立中学の中では7番目に偏差値が高い中学校です。(シリタスより)
すべての生徒にクラブ活動への参加を義務づけており、スポーツの強豪校としても有名です。学校の特徴として、寮教育・国際交流・スポーツがあり、希望者には寮の提供もしています。
松山英樹プロも親元から離れゴルフ一筋の毎日を送っていました。
中学校時代のゴルフエピソード
松山英樹プロは、2006年11月の『四国ジュニアゴルフ選手権大会新人戦』に参加し、中学校男子の部で見事優勝を果たしました。

松山英樹プロを中学から取材しているデイリースポーツOBの大西建志氏は、中学時代の松山英樹プロに対して話しています。
何もかもレベルが違っていました。特に同年代の選手と比べ、飛距離が半端なかったです。学校では時間があれば、リフティングやアプローチ練習を遊び感覚で楽しんでいました。クラブでボールを自由自在に操っているようでした。
2021/4/13『デイリースポーツ』より
この時期からゴルファーとしての頭角を現していた松山英樹プロ。
やはり分野が違くとも同じプロには松山英樹プロのポテンシャルの高さがわかっていたのかもしれませんね。
松山英樹の出身高校は明徳義塾高等学校
松山英樹プロは明徳義塾中学校を卒業すると、そのまま明徳義塾高等学校・堂ノ浦キャンパスへと進学します。

明徳義塾高等学校とは?
スポーツ・勉強・進路に応じての指導が優れた学校で、多くのトップアスリートを輩出していることで有名です。卒業生には同じプロゴルファーの横峯さくらさんや、プロ野球選手の伊東光さん(横浜DeNAベイスターズ所属)などがいます。
また偏差値は43~50と高知県内の私立高校で6位にランキングされています。(みんなの高校情報より)
高等学校時代のゴルフエピソード
松山英樹プロは明徳義塾高等学校時代に主に4つのタイトルで優勝しています。
①2008年(16歳・高2)四国アマチュアゴルフ選手権・優勝
②2008年(16歳・高2)四国ジュニアゴルフ選手権 15歳~17歳の部・優勝
③2008年(16歳・高2)全国高等学校ゴルフ選手権・優勝
④2009年(17歳・高3)日本ジュニアゴルフ選手権競技 男子15歳~17歳の部・優勝
高等学校在学中に立て続けにタイトルを制覇してしまうなんてまさにモンスターです!将来の大物を感じますね!

この制覇の陰には、スポーツ進学校として有名な明徳義塾高等学校の厳しい入寮教育とプロ顔負けの練習方法があったからかもしれません。
部員は週三回実践練習の場としてスカイベイゴルフクラブでプレーする。強い潮風と複雑な地形につくられた狭いコースで、日本一OBがでるコースに認定されたこともある。このコースで、部員は失敗を重ね、記録をつけることで上達していく。
2017/5/29『別冊 アサ(秘)ジャーナル』より
厳しい状況下での絶え間ない訓練と努力が、松山英樹プロのゴルフの才能を開花させたのかもしれませんね。
2008年には日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれました。
まさに『才能は有限、努力は無限』の精神ですね。

高等学校時代に多くの輝かしい成績を残した松山英樹プロは、最初は高等学校を卒業した後プロになろうと考えていたそうです。
ですが、3年生の時に出場した『日本アマチュアゴルフ選手権競技』で予選ラウンドを敗退してしまいました。そのことが松山英樹プロには気がかりでした。
同時期、東北福祉大の阿部靖彦監督が実家の愛媛まで訪れ『プロになってすぐに活躍をしたいと思うなら、もっと練習を積み重ねなさい』と助言をあたえたそうです。
そのことがきっかけとなり、松山英樹プロは東北福祉大学への入学を決意します。
松山英樹の出身大学は東北福祉大学
松山英樹プロは、よりゴルフへの研鑽を積むため東北福祉大学へ入学します。
一般入試ではなく、ゴルフのスポーツ推薦での入学でした。所属は総合福祉学部社会福祉学科でした。偏差値は40と比較的入学しやすいレベルです。

東北福祉大学とは?
東北福祉大学とは宮城県仙台市にある私立大学です。
福祉系大学として伝統があり、福祉3大学の名のもと多くの国家資格合格者を輩出しています。
また大学のゴルフ部は大学ゴルフ界の名門で多くのプロが卒業生にはいます。有名なところでは宮里優作プロ・谷原秀人プロ・池田勇太プロもゴルフ部のOBでした。
松山英樹プロは東北福祉大学の4年間をゴルフ部の寮で過ごします。
松山英樹プロは、東北福祉大学に入学したメリットについて後のインタビューで答えています。
ツアー会場で、年が離れていても『福祉大です』って言うと、先輩後輩で回ろうかという話になる。アマチュアの時に先輩プロと一緒に回れるのは、今の選手もやっぱりラクだと思う。(中略)当然、緊張はするよ。でもマスターズに言った時は(池田)勇太さんと一緒にご飯食べて、練習してもらった。
やはり大学ゴルフの名門校、多くのプロを輩出しているからこそこのようなメリットがあるのかも知れないですね。
大学時代のゴルフエピソード
松山英樹プロは、東北福祉大学時代に後のプロへの足がかりとなる、華々しい成績を残しています。
①2010年(大学1年・18歳)アジアアマチュア選手権 優勝
②2010年(大学1年・18歳)日本オープンゴルフ選手権競技 3位(ローアマ獲得)
③2011年(大学2年・19歳)三井住友VISA太平洋マスターズ 優勝
④2011年(大学2年・19歳)Masters Tournament 27位(ローアマ獲得)
特筆すべきなのは、大学1年で『アジアアマチュア選手権』で優勝したことです。
この優勝がもととなり、翌年のメジャー『マスターズ』出場権を獲得。一躍脚光をあびるようになりました。この快挙は日本人アマチュアとして初ということもあり、多くの話題をよびました。

そして2011年の『Masters Tournament』では日本人初のローアマチュア(アマチュアの中で成績がトップ)を獲得しました。
同年11月の三井住友VISA太平洋マスターズでは、倉本昌弘プロ・石川遼プロに次ぐ3人目のアマチュアでの日本ツアー優勝を果たします。

翌2012年には、R&Aによって創設された世界アマチュアゴルフランキングで日本人初の1位を獲得することになります。
大学2年生までに大きなタイトルを制し実力をつけた松山英樹プロは、2013年の大学3年生時にプロへの転向を表明したのです。
まとめ
2021年4月8日から4月11日に行われた米マスターズ・トーナメントで、松山英樹プロは悪天候に見舞われながらも、粘い強いショットで見事日本人およびアジア人史上初のマスターズ・トーナメント優勝を果たしました。
その姿は多くの日本人に感動と夢をあたえてくれました。
今までに多くの『日本人初』の称号を勝ち取ってきた松山英樹プロ。
おそらくそのすべては『日本人初』のマスターズ優勝へ向けての布石だったのかもしれませんね。