彼女が異郷の地ウズベキスタンで見つけたのは、自分自身へのチャレンジ。
囲われていたヤギへの思いが彼女の背中を押し、
そして無限に広がる世界と出会う。
黒沢清監督と前田敦子の慎ましくも大胆な冒険にただベタ惚れ。
葉子は歩き、走る。屈み、救い、また走る!
ウズベキスタン・アドベンチャー・ムービー!
ラストの歌声に、思わずブラボー!大傑作です!
映画監督からの愛を受けて煌き誕生したヒロイン。
その瞬間はいつだって新鮮で幸せに満ち溢れている。
それだけで、泣けてくる。
迷いこんだり、追われたり、
「世界」という曖昧な風景の中で、
世界中の孤独を背負ったようなヒロインが行ったり来たり。
あちこちにカメラを向けフレームにおさめるその様子は実に愉し気。
まさにブレない黒沢清監督を感じずにはいられません。
前田敦子と映画の完全一致。
女優を見つめる監督の視線が、彼女を映画そのものにする。
その大胆さは活気を、危うさはサスペンスを映画に与える。
恥ずかしながらこんなに凛々しく、美しい人だとは今まで知らなかった。
ちょっと不満そうな顔、無防備に伸びた華奢な足、
前田敦子が、映画の中を闊歩する。
気がつくと、彼女に釘付けで、小さな異国の出来事は、
驚き溢れる大冒険になっている。
どこか不穏。なのに爽快。そして軽やか。やっぱり凄いです。
前田敦子さんが黒沢監督の狙いを全身で引き受けていて、圧倒される。
彼女の彷徨う頼りない脚が、わたしの足裏まで感覚を届け、
見知らぬ土地へ誘(いざな)う。
こんなヒロインに、久々に会った気がした。
日本から世界を撮り続けてきた黒沢監督が、異国を舞台にこの国を描く。
映画にはまだこんな表現あったのか、という驚きと共に。
私はウズベキスタンに行ったことはないし、夢は歌手でもない。葉子と重なる境遇は何一つないのに、それでも何故だか自分ごとのようにのめり込んで見入ってしまいました。圧巻のラストシーンは直接的なハッピーエンドではないかもしれないけれど、強くて美しくて・・・気がつくと安堵の涙が溢れていました。
葉子のどこか不満げで何かを諦めた様な無機質な表情が、
異国の地での様々な出会いによって変化していく。
ウズベキスタンの色鮮やかなバザールの光景と壮大な山々が気持ち良く、
観ているこちらも心が解放されました。葉子の歌う「愛の讃歌」必聴です!
どんなに目の前に大きな世界が広がっていても、
自分の心が閉じていたら何も見えない。
この映画を見ながら、私の心は世界に向かって、
果たして開いているだろうか?と自問自答しました。
「旅のおわり世界のはじまり」というタイトル通り、
前田敦子さん演じる葉子と一緒に旅をして人生とは?幸せとは?
と自問自答しながら見ていたら、自然と涙が溢れていました。
ずっと葉子を追うカメラはドキュメンタリーを観ているようで
リアルな日常の中での心が少しずつ震えていく感じがくせになりました。
この映画を観終わったあと、皆さんの世界もきっと違う世界に見えているはずです。
納得して始めたつもりでも、自分の心と足並みが揃わない。
興味があるのに、他者との繋がり方が分からない苛立ちと拒絶反応。
他人ごとと思えない葉子の表情に不安になりながら、
彼女が歌う「愛の賛歌」の力強さに背中を押され、
自分が作った壁をひとつ壊してみようと決意した。
見る/見られる、撮る/撮られる、演じる/演じない、
ここ/どこか、私/私じゃない誰か……と、
本作は二項対立することがらへの問いかけが延々と続いていく。
この映画という「旅」をおえてこそ、「世界のはじまり」は訪れるように思える。
自分が思い描いた夢を実現する人と、置かれた場所で花開く人は、
正反対のように思えてある意味では同じなのかもしれない。
「ここではないどこか」を求める人と、どこに行ってもダメな人が同じであるように。
要するに、今いる場所に、今あるものに、どれだけ心を開けるか。
私の場合、それを教えてくれるのは「旅」と「映画」だ。
まずはみなさん、この映画の「ヤギ」のエピソードの唐突に試されて下さい。
お茶の間で愛された元国民的アイドルをずいぶん遠くに連れて行った黒沢清監督。
たったひとりで未知の世界、そして自己と対峙する姿を見たら、
みんなもう“あっちゃん”なんて気やすく呼べません。
黒沢監督に、こんなチャーミングな傑作を撮らせてしまう女優、前田敦子さんはすごい。
黒沢清監督が捉えた魅惑のウズベキスタン。
そこで走り、迷い、泣き、そして歌う前田敦子。
どこからどこまでが演技なのか? 圧倒的な存在感と表情に胸がアツくなる。
これまでの黒沢清作品が描いてきたように、私たちの世界はささいなことで瞬時に終わってしまう。しかし、先へ進めば、旅を続ければ、いつか新しい世界がはじまる。はじまってしまう。私たちは旅のおわりまで進み続けられるだろうか?
前田敦子の不機嫌で孤独なたたずまいが、
「異国をさまよう緊張と不安」をリアルに描く。
しかしかつて彼女が解放した“それ”が再び姿を現した瞬間
彼女は歌い、映画は解放へ突き抜ける。
その圧倒的カタルシス!
前田敦子演じる葉子はひたすらカメラの前に、そして雑踏の中に身を投げ出す。
そうして彼女の細い身体が無防備に投げ出されることで、そこはなんの指標もない、未知なる場所として立ち現われる。
そんな彼女を見つめ続けるひとりの男との、ほとんどラブシーンと見紛う、
息をのむような美しい切り返しシーンを経て、
葉子はその未知なる世界にすくっと立ち、歌う、愛の歌を。
そう、愛することこそ、混沌としたこの世界と向かい合う唯一の行いであると、
本作は清々しく、高らかに告げている。
黒沢清監督が、ウズベキスタンを舞台に描く「不思議の国のアリス」だ
Kiyoshi Kurosowa filme en Uzbekistan sa version d'Alice au pays des merveilles
やりたい仕事、やりたくない仕事
でも、やらなければならない仕事……
もしやりたい仕事があるのなら口に出しなさい
と若い時よく言われたのを思い出した
口に出した瞬間、世界がはじまる
すべては自分次第なのだ
アイダル湖は、観光客はもちろん国民も行かない秘境の地で、
エンディングでの山頂から眺める湖と山の景観美は、
ウズベキスタンの新たな発見。
黒沢清監督が、旅の裏側を迫力あるサスペンスで描いた大作で、
感動の余韻がいつまでもつづく
“これまでのどれにも似ていない旅の映画”でした。
黒沢節が健在で不思議な世界を堪能しました。海外へ旅した時の不安感や、 日本の事件を海外で知るというようなシチュエーションが、身につまされます。 前田敦子さんがとても良かったです。
本作品の公開、誠におめでとうございます!
黒沢清監督、前田敦子さんとは、会社の海外研修旅行でウズベキスタンを訪れた際に、ナボイ劇場の前で偶然お会いいたしました。親日的なウズベキスタンの人々の国民性が良く伝わってきて、現地を訪れているような、懐かしく心地良い感覚を抱きました。ラストシーンの歌声や情景はとても素晴らしく、心に残る感動的な映画でした。是非、多くの方にご覧いただき、実際にウズベキスタンにも訪れていただきたいと思います。
※順不同・敬称略
蓮實重彥(映画評論家)
新しい、まったく新しい黒沢清を発見できて、幸福でした。